雲の切れ間から差し込んだ朝の日差しは、京都の静かな街を暖めた。早朝の空気には、前夜に通り過ぎた嵐の跡がまだ残っていた。私は、気が変わらないうちに自転車に乗り、東へと走らせた。
京都に暮らすことになった当初は、たくさん観光をしようと思っていたものの、実際にはまだどこにも訪れていなかった。というのも、いつでもどこでも行けると思っていたために、家から出る気がしなかったからだ。指からすり抜ける砂のように、さらさらと時間が過ぎていき、あっという間に2ヶ月が経った。
京都で過ごす貴重な時間をこれ以上無駄にしてはいけないという衝動に駆られ、私が向かった先は南禅寺だった。
そこで私を魅了したのは、寺院そのものではなかった。奥に隠れて荒廃した水路閣だった。かつて鮮やかだったであろう水路の古い煉瓦は、繁殖した苔によって、その色を失っていた。青々とした木々の密集が醸し出す不気味な雰囲気の中で、紅葉が太陽のように真っ赤に燃えていた。
水路閣のあまりの美しさに、私は取り憑かれたように我を忘れて見入っていた。
日本建築とヨーロッパ建築の調和が、その景色をさらに特別なものにしていた。
早朝のため、南禅寺を訪れている人は全くいなかった。取り囲まれた自然の中で、私とこの奇妙な建物だけが存在していた。それは不思議な感覚であったが確かに私を満足させるものであった。この時間が永遠に続けばいいのにと思いながらシャッターを下ろした。
日本は云わずとも知れた観光名所であるが、実際に暮らすことで、また違った見方でこの国を取り巻く美しさを体験することができた。あの日、私を駆り立てた衝動は、私の日本に対する価値観を大きく変えたのだ。
この京都でもっと多くの文化に触れていこうという決意を胸に帰路に着いた。
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