高知の旅の中、「得月楼」という料亭で昼食を過ごした。「得月楼」は江戸時代から長年を渡った建物であり、歴史が豊かな建物だ。この神秘な雰囲気は名前からも湧いてくる。
「月」を「得」ようとする歴史的建物「楼」、古代の詩のように浪漫的な響きは、「得月楼」という名前にその魅力を与えているじゃないか。
この古い邸宅は現在、お弁当と会席料理を提供する料亭として経営しています。「お弁当」を言うと、アニメで見た可愛いおベントとか、コンビニで買えるお弁当しか見たことない私にとって、あんまり上品なイメージが浮かばなかったが、「得月楼」の「お弁当」というのは見たこともない、本格的な豪華で高級なお弁当だった。
現代飲食店の激増の中、伝統的なお弁当は日本の根本に忠実し、日本の食文化の謙虚で大切な部分である。お弁当は、美学を日常生活に取り込んだ完璧な例になるだろう。和食文化では、視覚だけで味に大きな影響を与えるため、外観は味と同程度に重視しなければならないという概念がある。
そして、お弁当もそうだ。
「得月楼」のお弁当の中の食材は一つ一つ詳細に装飾され、丁寧に配置されていた。料理全体が芸術作品となり、食事全体が優雅な演奏だった。どこから始めた方がいいのか、それか食べてもいいのか、という疑問を迷いさせるほどの美しい景色。
でも正直に言うと、この高級お弁当を味的にそこまで好きではなかった。風味は非常に独特で、食べてもよく分からない味だった。しかし、顧客は「得月楼」に来店する理由は、食べるためではなく、その食事自体の経験のためであることを気づいた。
日本の伝統的な食文化は決して食べ物を中心にするだけではない。顧客が店に入る瞬間に、悩み事を外に残すことができる空間を作ろうとしているではないかと思った。「得月楼」で食事をすることで、この概念を実際に味わった素晴らしいきっかけだった。
その日は雨が降り、「得月楼」に入って、頭の上の避難所はすでに私たちの心を慰めていた。二人の年配の女性が繊細な体に丁寧に着られた皺一つもない優雅な着物で私たちを迎えました。
複雑な邸宅に導かれ、色褪せた畳の香りが心地よく漂う。建物の内部は非常に複雑で、多くの廊下、部屋、階段が好奇心を刺激し続けていた。.
食事場に着いた瞬間、みんなが息を弾ませた。誰もが空腹の子供たちのように興奮して前に駆けつけた。しかし、みんなが駆け出した理由は食べ物ではなく、その後ろにあった美しい景色に惹かれたからだ。大きな壁画のように、天井から吊るされたような広い窓、外の雨から守りながら、緑豊かな色合いで描かれた美しい中庭で部屋を飾り付けた。
私達を案内してくれた店員さんはただ微笑んで何を言う、何を説明する必要もなかった。自然の力でいうべきものを言ってくれるからだ。降り注ぐ雨の穏やかな静けさは、他のすべての周囲の音を覆われた。
そしてその瞬間、自分はどれぐらい無力であることを気づいた。大自然、時間、そして運命という圧倒的な力の中で、私はただ一つのわずかな存在だと。この理解はなぜか分からないが、奇妙に私を癒した。
最も影響力のある話は、説明をする必要もなく、無音で意味が伝われるメッセージではないかと思った。
そして、「得月楼」の魅力はまさにそれだった
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