家に帰る前、私は南禅寺の敷地をもっと探検してみたかった。そして、水路閣を辿って予想外のものを見つけた。それは秋の色落ちで覆われたほとんど見えない道だった。
好奇心は不安を圧倒し、私は先へ進み続けた。地味な石段が私を山の奥へとさらに歓迎し、無関係な雑音が次々と消えていく。どこかの細流の流れと、風の通りを知らせる葉の音と、自分の足音しか聞こえなかった。
その直後、新たなカサカサという音を聞こえた。それは、葉っぱを通る風の音として規則的すぎだった。この音の源に近づくにつれて、それが誰かが枯葉を掃いている音であることに気づいた。
階段は小さな休憩所に平らになり、そこで枯葉を掃いているおばあちゃんと出会った。私は挨拶をしたことでおばあちゃんがすごく喜んでいた。話す相手ができて良かったと思ったかもしれないが、おばあちゃんは自分がこの先の山道に対する愛情を熱心に物語し始めた。
おばあちゃんはこの山道のおかげである夫婦と出会った話だった。
夫の方はオーストラリア人、妻の方は日本人、そして二人はオーストラリアに住んでいる。しかし、夫はこの南禅寺の奥にある山道が非常に好きで、よく山道を登るため日本に戻ってくるらしい。残念ながら、最近の台風のせいで、沢山の木々が倒れて、山道を塞いでしまった。そこで、山道を通られないおばあちゃんと出会って、その夫が倒られた木を脇に移動してくれた。
数日後、おばあちゃんはまだ山道を登った時に、他の木々も脇に移動したことを気づいた。感謝を伝えるため、おばあちゃんは木の幹に「ありがとう」を書いてからまだ登り続けた。次の日、同じところでおばあちゃんが自分が書いた「ありがとう」の隣に「どういたしまして」という字が丁寧に書かれたことを気づき、すごく喜んでいた。
この風に、この山道は彼らの単純なメッセージ交換場になった。
それは、何と素敵な話だった。自分自身でこの山道を見たいという意欲がわいた。私はおばあちゃんに感謝を言い、全く計画外の山登りに向かった。
その山道は思ったより非常に大変だった。
20分後に息が切れて発汗するほど激しい山道だった。下に這わなければならない倒木があり、手で登る坂道もあり、そして道がところも多々あった。「よくこんな道を日課的に登っているなー」と思いながらおばあちゃんに対して新たな尊敬を感じた。
おばあちゃんの情熱が私の疲弊を圧倒し、山道を進み続くことを促したと思う。しかし、1時間がたつと、やはりもっと準備ができたらこの山道を再び挑戦するべきだと気づいた。カジュアルな服装を着て、大きなカメラが首からぶら下がって、そして何よりも水がないことで山登りを挑戦することがバカバカしいだった。
私が山道を降りた時、おばあちゃんはまだ休憩場にいた。山道を全部上ることができなくてちょっと恥ずかしかったが、おばあちゃんは大きな笑顔で私を迎えた。この山道は大文字に至って、最後は銀閣寺に着くことは後でおばあちゃんから教えてもらった。約二時間かかるらしい。
大文字に着くことができなくて、おばあちゃんのメッセージ交換も見つけられないことにもかかわらず、以外と満足していた。まだ今度、この大文字山道を最後まで登ろうと決心したからだ。
南禅寺を出る時、観光客が流れ込んでくることと混雑な駐車場を見かけた。山を登ったとき、まるでタイムスリップが経たようだった。南禅寺の静かな朝風景はいつかの間に賑やかな光景に入り変わてしまった。
私は静かに自転車を乗って、群衆から離れ、振り返ることなく家に向かった。
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